この身体ができた時はどんなだったのだろう
両親は歓喜に震えただろうか
それとも淡々と生命の誕生を迎えたのだろうか
身体の中に意識が芽生えたのはいつだろう
幼稚園や学校に通うようになってからの記憶は多少は残っている。
それでも、取捨選択されて残された記憶は思いの外少ない
その頃の多分に漏れず人並みに結婚をして又、新しい命を創り出した。
きっと、彼らはこんな思いに囚われることはないのだろう。
私とは何?なぜ、この身体の中に、この意識はあるのだろう。
別に他の身体でも問題は無かったような気がする。
かなり使い古してしまった身体は、あちこち傷んできた。
近い将来、この身体も消えてなくなる。そしてきっと私と言う脳の働きも消滅する。
太古の昔から、連綿と続く人類の歴史の、チリのようなほんの一欠片が終わる。
借り物の肉体

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