2LDKの狭いアパートで傍らのベビーラックの幼子を横目に、洗濯物を片付けている若い母親の姿が昨日のようにふと脳裏を横切った。幼子の頭髪はなぜかメラニン色素のない色であった。あややが触ろうとすると、幼子は泣きそうになる。
かれこれ20年以上も前である。
一瞬のことですぐに忘れてしまったが、時々そういった事がある。
学校教育の方針変わりゆくニュースなどを見ると、つい郷愁に似たものを感じたり、昔の生活形態や労働形態、学習形態がすべて悪しく認識されているのでは?と少し悲しさも覚える。
しかし、あややが若かりし頃にはなかったものを好んで活用している自分がいることも否めない。
こんなどうでもいい事を考えるのは、最近コロナ騒動でナーバスになっているからかもしれない。
志村けんさんの出来事はかなりのダメージを私に与えました。
何ケ月もたった今でも、つい自分に置き換えて考えることも少なくない。
会社で仕事をしながら、この仕事を誰がどのように継続していくのだろうか?とか思ってみたりする。
何れにせよ誰が見ても分かり易くしておく必要があるが、現在のメンバーでは不可能なので税理士さんに不眠不休で頑張ってもらうことになるだろう。いつぞや、私が死んだときの仕事の手順を上司に説明しようとしたら、「その時はその時!」と一蹴された。
中小企業の我社の事務所では、もし私がコロナウイルスに感染したら全員濃厚接触者となる。即休業、全員自宅待機、社内消毒と悲惨な光景が目に見えるようだ。
我社では誰も歓迎しないGOTOキャンペーン、なぜならそんな暇も浪費できるほどの金も持ち合わせていないからだ。会社の経営はコロナ騒動の影響で芳しくもなく、社員は薄給で家庭を支えている。
若かりし頃の光景が走馬灯のようによぎる時、そこにはコロナ騒動などない。