あやや

つぶやき

秋の憂鬱

芳しくない勤務先の先行き世の中は少しづつではあるが景気が好転しているようであるしかしながら、我が社の先行きは全く見えないコロナで財政を使いすぎた公共機関は、建築土木に予算を割く余裕がない2、3年後には公共事業は皆無になるのではと囁かれているが我が社の所属する地域だけなのだろうか一般の顧客や既取引先の仕事も減りつつあるしかし固定経費は否応なく消化されていく仮に融資を受けたとしても実収入がなければ赤字補填になるだけで消えていくさっさと辞めれば良いと言われそうだが、おひとり様は働くしか食べていくすべがないのです
つぶやき

老後

なぜか自分の近い将来が全く想像できないいつまで働くのかさえ想像つかないし、リタイヤした後の姿が全く想像できない金銭的余裕は全くないのだが、路頭に迷っている姿も想像できなしかと言って優雅な暮らしをしている自分の姿など思いもよらないしはてさて、自分は何歳まで生きているのだろうかという想像もできない。全く想像できないとすると、自分に老後など訪れることなく他界するのであろうかその日は明日かもしれないし、今日かもしれない。いや、もしかしたらそういう感覚を味わうことなく惚けてしまうのかもしれない。家族に迷惑をかけてしまうから、それだけは避けたい話である。老後が想像できないといいつつも、十分いい歳ではあるが、一年後の自分はいったいどんな姿で何をしているのであろうか
つぶやき

借り物の肉体

この身体ができた時はどんなだったのだろう両親は歓喜に震えただろうかそれとも淡々と生命の誕生を迎えたのだろうか身体の中に意識が芽生えたのはいつだろう幼稚園や学校に通うようになってからの記憶は多少は残っている。それでも、取捨選択されて残された記憶は思いの外少ないその頃の多分に漏れず人並みに結婚をして又、新しい命を創り出した。きっと、彼らはこんな思いに囚われることはないのだろう。私とは何?なぜ、この身体の中に、この意識はあるのだろう。別に他の身体でも問題は無かったような気がする。かなり使い古してしまった身体は、あちこち傷んできた。近い将来、この身体も消えてなくなる。そしてきっと私と言う脳の働きも消滅する。太古の昔から、連綿と続く人類の歴史の、チリのようなほんの一欠片が終わる。
つぶやき

落胆

なんとも言えぬ喪失感! たかが宝くじ! されど宝くじ!いつまで働けば良いのだろう。 せめて宝くじでも当たらないかなあ?と微かな期待で購入したけど、やっぱり外れ!こんなご時世働ける所があるだけでもよしとしなさい、と言われそうだが。しかし、リタイアして悠々自適の生活してる人も結構いると思うのですが。贅沢はしなくてものんびり花など眺めて暮らしたい。贅沢かしら? 笑
つぶやき

残り少なくなった人生に思う事

何か残しただろうか?何か成し得ただろうか?と虚しさが込み上げてくる。昨日の言葉も今日の行動も、ほろ苦い虚しさしか込み上げてこない。良い人でいようとか、明るく笑顔で過ごそうとか、なんの為に誰のために思うのか。人生を謳歌するとか言うけれど、それが一体何になるのか何の意味があるのかさえわからなくなりつつある。たとえ子孫を残すことが、私の使命であったとしても、果たして子孫の生きる未来は、意味のある物なのだろうか?そして何より安寧な世なのだろうか?欲望のままに生きて世に言う悪い道を歩く人、立身出世とやらをして名を残す人、他人を救うために身を捧げる人、歩く道に違いがあれど一生は一生だ。出来れば誰が見ても美しいと感じる生き方をしたいと人は思うのだろう。例えそのことに何ら意味を持たなくても。また、自問自答しながら明日も生きていくのであろう。この身が朽ち果てるまで。